富山地方裁判所 昭和51年(ワ)69号 判決 1986年9月19日
原告
志甫彬
原告
牧野文三郎
原告
平井隆
原告
大内良太郎
原告
蜷川和文
原告
平井待子
右原告ら訴訟代理人弁護士
葦名元夫
同
青山嵩
同
木澤進
同
黒田勇
同
山本直俊
右葦名元夫訴訟復代理人弁護士
渡辺正雄
被告
株式会社リコー
右代表者代表取締役
舘林三喜男
右訴訟代理人弁護士
水野祐一
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主位的請求
(一) 原告らが被告の従業員たる地位を有することを確認する。
(二) 被告は原告らに対し、昭和五〇年四月二日以降、毎月二五日限り別紙目録(一)該当給与欄記載の各金員を支払え。
(三) 訴訟費用は被告の負担とする。
(四) 仮執行の宣言
2 予備的請求(ただし、原告牧野を除く。)
(一) 被告は原告らに対し、別紙目録(二)該当請求金額欄記載の各金員及び同目緑該当内金額(イ)欄記載の各金員に対する昭和五三年九月三〇日から、同目録該当内金額(ロ)欄記載の各金員に対する昭和五九年一一月一七日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 主位的請求原因
1 原告らは、別紙目録(一)該当入社年月日欄記載の各日時にホクヨー商事株式会社(以下、後記旧商号の富山リコピー、富山リコー、北陸リコーと区別しない限り、これらを含めて「ホクヨー商事」という。昭和四四年当時の商号は富山リコピー販売株式会社((以下「富山リコピー」という。))で、これが昭和四七年一〇月一五日富山リコー販売株式会社((以下「富山リコー」という。))に、ついで昭和四九年一一月一日北陸リコー販売株式会社((以下「北陸リコー」という。))に、更に昭和五〇年一月二九日ホクヨー商事に順次商号を変更した。)に入社し、商品販売及びこれに伴う事務に従事していたものであって、昭和五〇年三月当時、同目録該当給与欄記載の給与を毎月二五日(ただし、当日が休日のときは前日)に支給を受けていた。
2 原告らは、次のとおり、被告との間で、(1)原告大内を除くその余の原告らは前記入社日時、そうでないとしても、北陸リコーに商号変更時の昭和四九年一一月一日、黙示の雇用契約、また原告大内は昭和四九年一一月一日黙示の雇用契約、(2)前記入社時、遅くとも昭和四九年一一月一日までに使用従属関係による雇用契約、(3)昭和四九年一一月一日被告との特別な関係を有する北陸リコーを通じての雇用契約、(4)法人格否認(濫用)法理による雇用契約のいずれかが成立した。
(一) 被告の富山リコピー支配とホクヨー商事の解散に至るまでの経緯
(1) 被告とホクヨー商事の目的
被告は昭和一一年二月理研感光紙株式会社として設立され、同商号が昭和一三年二月理研光学工業株式会社に、ついで昭和三八年四月に現商号に順次変更され、昭和五〇年三月現在、事務用機器、複写用紙類等の製造販売を主要業務としている会社である。また、ホクヨー商事は複写機、事務用機械等の販売修理を業としていた会社である。
(2) 被告の販売体制と営業所の機能変化
被告の販売体制は、東京都大田区中馬込一丁目三番六号の本店を核とし、全国に設けた九支店と各支店のもとの多数の営業所によって行われており、かかる支店に従属する営業所に依存しているところに特長がある。
被告富山営業所は、昭和二七年四月、被告名古屋支店のもとに設置され、同支店の指導下に活動していた。
ところで、右営業所の当初の役割は、顧客への直接販売が主であったが、その販売商品が感光紙から次第に複写機を中心とする事務機械が増加するにつれ、順次事務機販売店、文房具店等の代理店への商品販売を集約するものへと変化していった。
(3) 富山リコピーの営業不振
富山リコピーは昭和四五年以降営業不振が目立ち、昭和四六年三月期から昭和四七年三月期にかけ、赤字が累積して八二九万円となった。そこで、富山リコピーは、資金不足を補うため、昭和四六年一〇月二八日、被告に対し五〇〇万円の融資を申し入れた。右融資の申入れは、被告がその二日前に人事異動の一環として社員を富山リコピーに派遣しており、事実上の身売りであった。
(4) 被告の富山リコピー支配
かくて、被告名古屋支店は、昭和四七年一月一〇日、富山リコピーと会社再建の打合せをした。その結果、被告は同月一六日富山リコピーに対し、前記のような営業所の機能変化に伴い、従前の被告富山営業所の業務である被告名古屋支店との事務連絡、顧客への直接販売及び富山県内におけるリコー商品取扱店への販売を取り扱わせることにした。そして、被告名古屋支店次長の鴨打邦行が同月二〇日富山リコピーの社長に就任し、被告富山営業所の従業員である加藤卓、佐藤和一、窪田昭、野上昌子らを富山リコピーに送り込んだ。
他方、被告は同年二月二七日以降富山リコピーの発行済株式の過半数を取得した。しかも、被告富山営業所は同月以降富山リコピーが所在する富山地鉄ビル二階の同じ部屋に置かれるに至り、同営業所は、富山リコピーが富山リコー、北陸リコーと順次商号が変更されても変りはなかった。そして、被告は富山リコピーを対外的にも被告富山営業所と表示し、富山リコピーの従業員も同じ認識を持つに至った。
したがって、富山リコピーは被告名古屋支店のもとの営業所となって、被告製品の販売部門となった。
(5) 富山リコピーから富山リコーへ
富山リコピーは、昭和四七年五月、教育機器事業部を独立採算事業部として新設し、同年一〇月一五日、富山リコーに商号を変更するとともに資本金も一〇〇万円から六〇〇万円に増資した。
被告は、右発行済株式一万二〇〇〇株中七九八〇株を所有し、富山リコーは名実ともに被告の系列会社となった。そして、富山リコーの業績は著しく上昇し、累積赤字も解消され、昭和四八年三月期には当期利益八三一万円を計上するに至り、順調に推移した。
(6) 富山リコーから北陸リコーへ
このようなわけで、富山リコーは昭和四九年九月北陸リコーへの商号変更と増資計画を立案した。これは、金沢市内に支店を設置し、販売網をこれまでの富山県だけから石川県まで拡大するためのものであった。増資計画は八〇〇〇株(一株五〇〇円)の新株を発行し、これを被告に割り当ててその持株を一万五九八〇株(全体の七九・九パーセント)とし、同資金四〇〇万円を金沢支店の賃借敷金、保証金のほか、電話備品等の購入に充てることにした。
この結果、富山リコーは昭和四九年一一月一日北陸リコーに商号変更し、被告富山営業所内に本店を置いているように被告金沢営業所内に北陸リコーの金沢支店を設けた。
(7) ホクヨー商事への商号変更と解散
原告らは、昭和四九年一二月二二日、北陸リコー本店内に全国一般労働組合北陸リコー支部(以下「労組」という。)を結成した。
被告は、労組結成の通告を受け、金沢支店内には労働組合結成の動きのないことを看取するや、労組を壊滅させるため、北陸リコー本店を金沢支店と切り離し消滅を図った。すなわち、被告は同月二八日金沢支店を廃止したうえ、昭和五〇年一月一〇日出資金一〇〇万円を全額出資して、新たに石川リコー販売有限会社を設立し、金沢支店の従業員、諸設備等の実体をすべて同会社に承継させた。そして、昭和五四年五月二日には右会社を株式会社に変更させ、被告の直轄販売網として強化を図っている。他方、北陸リコー本店につき、昭和四九年一二月末に鴨打邦行社長を退職させ、その他出向幹部を被告名古屋支店に引き揚げさせた。そして、昭和五〇年一月二八日、被告保有の株式七九八〇株全部を鴨打邦行に売却するなどの撤退の諸方策を打ちながら、かかる不当労働行為を隠ぺいするため、同月二九日商号をホクヨー商事に変更させた。しかも、被告は、同年二月一二日なんらの見返りもなくホクヨー商事の債権を譲り受け、ついで同月二七日ホクヨー商事に対する商品の供給を停止するに至り、被告富山営業所の事務も被告従業員に行わせるようになった。
その結果、ホクヨー商事は同年四月二日不渡手形を出して倒産し、原告らを同日付をもって解雇し、同年五月一八日解散するに至った。
少なくとも、被告はホクヨー商事の株主としてその一般権限の行使を超え、ホクヨー商事と意思を通じて会社を倒産させ、原告らを解雇させた。
(二) 被告とホクヨー商事の関係
(1) 株式について
被告は、前記2(一)(4)(5)のとおり、昭和四七年二月二七日以降富山リコピーの株式の過半数を所有し、特に同年一〇月一五日富山リコーに商号変更して増資した際には、発行済株式一万二〇〇〇株中七九八〇株(六六・五パーセント)を所有するに至った。富山リコーの残りの株式についても、被告関係者の越川清衛が二四〇〇株(二〇パーセント)、鴨打邦行が三一〇株(二・五パーセント)、三愛不動産が二〇株(〇・一七パーセント)を各所有し、その余を富山県内のリコー商品取扱店や富山リコーの職制に分配した。
このように、被告は昭和四七年一〇月以降富山リコーの株式を実質上一〇〇パーセント保有し、富山リコー、北陸リコーないしホクヨー商事を支配下に置いていた。
(2) 役員等人事について
役員等人事についても、被告は、前記2(一)(4)のとおり、被告名古屋支店次長の鴨打邦行を昭和四七年一月二〇日富山リコピー社長に就任させ、以来、同支店従業員が富山リコピー、富山リコーないし北陸リコーの管理業務に携わり、その中心的役割を果たしていた。
北陸リコー当時の役員等幹部人事と被告名古屋支店における地位等は次のとおりである。
<省略>
(3) 営業活動について
被告は、前記2(一)(4)(5)のとおり、昭和四七年二月以降富山リコピーを支配し、以来、被告富山営業所を富山リコー、北陸リコーないしホクヨー商事内に置き、その業務運営を自ら企画決定すると共に、原告らを労務指揮していた。つまり、右支配下のホクヨー商事の営業方針ないし活動は、被告名古屋支店の指示に従って決定され、営業に関する事項はすべて同支店に報告義務を負い、原告らは被告の指揮監督のもとに業務に従事していた。
(イ)ホクヨー商事は被告製品のみ販売を義務付けられ、被告名古屋支店は独占的にこれを供給していた。被告は、より多くのマージンを取得するため、直轄販売会社による方式を採用し、系列販売網をABCDのランクに分け、資本参加、経営参加、全商品扱い、商号使用等がされている販売会社をAランクとしていたが、北陸リコーはそのAランクとして取り扱われていた。北陸リコーがホクヨー商事に商号変更後、被告製品以外の商品も販売するに至ったものの、それは総売上げの〇・一パーセント程度にすぎず、大部分は被告製品であった。
(ロ)しかも、被告製品の販売価格は被告によって定められていたので、ホクヨー商事の利潤ないし損失額は被告によって左右されていた。被告は定価の約一五パーセント引きの基準価格を設定し、これを逸脱する場合には被告富山営業所長の承諾を要した。特に、ホクヨー商事が商品を最低売価もしくは仕切価格(被告よりの仕入価格)を下回って販売する場合には、被告名古屋支店あてに特価申請書を起案して同支店の決裁を受け、また商品販売において下取りをして値引きした場合には、下取機の処理として同支店の決裁を受けていた。
そして、ホクヨー商事の資金繰りもまた被告の意思によって決定されていた。ホクヨー商事の資金繰りの難易は主として被告の振り出す手形の期日によって影響され、その手形は被告の信用を背景として銀行割引を受け、被告に依存していた。
(ハ)また、ホクヨー商事の商品販売は、商品の引渡、代金の受領等も被告の統一的な仕方でなされ、これに伴う情報提供は、被告の作成管理にかかる定形的文書(カタログ、商品説明書等)によっていた。
そして、ホクヨー商事は営業上必要に応じて、被告名古屋支店名義の領収書又は被告富山営業所名義の見積書、封筒、印章を使用し、使用することができた。
(ニ)ホクヨー商事は被告名古屋支店に対し、定期的に経営概況報告書、営業実績予定表、月次決算書等を報告提出して指示を受け、そのほか毎月製商品受払表、営業報告書、売掛金残高証明書、販売店別売上予実績表及び日計表(富山県内のリコー商品取扱店における毎日の商品売上集約表)の作成等が義務付けられていた。
(ホ)被告富山営業所長の加藤卓は、ホクヨー商事の営業部長を兼務していたが、被告名古屋支店が毎月一回定期に開催の課所長会議に出席し、被告からいろいろの業務指示を受け、これをホクヨー商事の従業員に伝達した。また、加藤卓は日常的な販売業務についても、原告らの直属上司と協議し、被告の方針が原告らに伝わるように指示徹底した。
このように、被告富山営業所とホクヨー商事は不離一体の関係で営業活動をしていた。
(4) 労働条件について
被告は、ホクヨー商事の従業員の労働条件についても、これを決定していた。
ホクヨー商事従業員の賃金は、基本的には被告従業員の賃金体系と同一で、職能給、職務給が大幅に組入れられて算定されていた(もっとも、ホクヨー商事採用従業員の賃金は低く抑えられ、被告採用従業員に比べて大幅な賃金格差があった。)。
そして、ホクヨー商事従業員は被告の健康保険組合に加入し、被告指示文書の女子社員研修会、社員躾教育の徹底等はホクヨー商事の従業員にも回覧された。
(三) 原告らと被告との雇用関係
(1) 原告ら(ただし、原告大内を除く。)は、被告が前記2(二)(1)(2)のようにホクヨー商事の株式六六・五パーセントを保有するとともに役員人事を掌握し、同(3)(4)のような手段で営業活動のもとにホクヨー商事を完全に支配管理し、右原告らを指揮監督下に置き、その労務提供を受領していたのであるから、原告らは別紙目録(一)該当入社年月日欄記載の各日時に被告との間で、黙示の雇用契約が成立したものと認めるのが相当である。
そうでないとしても、前記2(一)(二)のような事情及び富山リコーが北陸リコーに商号を変更し、被告が右原告らに対する支配関係を強化したことにかんがみると、右商号変更時の昭和四九年一一月一日右原告らは被告との間で黙示の雇用契約が成立したものと認めるべきである。
右事情により、原告大内は昭和四九年一一月一日被告との間で、黙示の雇用契約が成立したものというべきである。
(2) 原告らは、前記2(一)(二)のとおり、被告によって管理支配され、被告との間には雇用契約と同視すべき使用従属関係が発生しているから、前記各入社日時、遅くとも昭和四九年一一月一日、雇用関係が成立した。
(3) 原告らは、別紙目録(一)該当入社年月日欄記載の各日時に入社し、富山リコピー又は富山リコーとの間に雇用関係が存在していたものの、右会社が北陸リコーに商号変更し、被告との間には前記2(一)(二)のような特別の関係があったから、右商号変更時の昭和四九年一一月一日、北陸リコーとの雇用契約を通じて被告との間に雇用契約が成立した。
(4) 被告は、前記2(一)(二)のとおり、ホクヨー商事を株式、人事、営業活動及び労働条件についても現実的、統一的に管理支配し、労組を壊滅させる目的でホクヨー商事を倒産、解散させ、原告らを解雇させたのであるから、違法不当な目的をもって、ホクヨー商事の法人格を濫用したものにほかならない。
したがって、被告はホクヨー商事との法人格の異別性を主張できず、原告らは被告との間に雇用関係を有する。
3 被告は、原告らの被告との間の雇用関係を否定し、これを争っている。
4 よって、原告らは被告に対し、原告らが被告の従業員としての地位を有することの確認と、昭和五〇年四月二日以降、毎月二五日限り別紙目録(一)該当給与欄記載の各金員の支払を求める。
二 予備的請求原因(ただし、原告牧野を除く。)
1 原告らは主位的請求原因1のとおりホクヨー商事に入社したものであり、他方、被告は同請求原因2(一)(1)のとおりの業務を目的とする会社である。
2 被告は、主位的請求原因2(一)(二)のとおり、ホクヨー商事を完全に支配(株式、人事面の支配、販売商品の独占的供給、営業活動の指揮監督)していたが、原告らが昭和四九年一二月二二日労組を結成し、その通告を受けるや、労組を壊滅させるため、同月末から昭和五〇年一月にかけ、北陸リコー本店と金沢支店との切り離しを図り、金沢支店につき、これを廃止させて新たに石川リコー販売有限会社を設立し、同会社にその実体を継承させ、他方、本店につき、鴨打社長を退職させるなどしたほか、保有株式を全部売却したうえ、その商号をホクヨー商事に変更させ、ホクヨー商事に対する商品供給を停止するなどして倒産に追い込み、少なくとも倒産するのを放置した。
その結果、ホクヨー商事は昭和五〇年四月二日倒産して原告らを解雇し、同年五月一八日解散するに至った。
原告らの解雇は、被告が労働組合を嫌悪し、組合つぶしのための一連の計画的、系統的、不当労働行為の総仕上げとしてなされたものにほかならない。
3 被告は、前記のように北陸リコー本店と金沢支店の切り離しを実行したのであるから、労働組合法七条三号所定の支配介入を伴った不当労働行為であり、その結果、ホクヨー商事が倒産して原告らが解雇されたのであるから、被告の故意責任は明らかである。
少なくとも、被告は、ホクヨー商事を実質的に支配していたのであるから、信義則上ホクヨー商事の倒産を予防して原告らの雇用関係を維持し、解雇回避努力義務が存在する。ところが、被告はホクヨー商事を放置し、右倒産を予見し認容していたのに、倒産回避義務を怠ったのであるから、過失責任を免れない。
4 原告らは、ホクヨー商事の倒産により解雇され、その雇用関係を侵害されて賃金相当額の損害及び精神的苦痛を受けた。
原告らの昭和五〇年四月二日から昭和五三年九月二六日までの間の賃金相当額は、別紙目録(三)該当未払賃金(イ)欄記載の各金員であり、この間における右慰藉料としては同目録慰藉料欄記載のとおり各五〇万円が相当である。また、原告らの昭和五六年一一月一六日から昭和五九年一一月一五日までの間の賃金相当額は、同目録該当未払賃金(ロ)欄記載の各金員である。
5 よって、原告らは被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、別紙目録(三)該当合計欄記載の各金員のうち、別紙目録(二)該当請求金額欄記載の各金員及び別紙目録(三)未払賃金(イ)欄記載の金員の内金としての別紙目録(二)該当内金額(イ)欄記載の各金員に対する不法行為後の昭和五三年九月三〇日から、別紙目録(三)未払賃金(ロ)欄及び慰藉料欄記載の合計金員の内金としての別紙目録(二)該当内金額(ロ)欄記載の各金員に対する不法行為後の昭和五九年一一月一七日から、各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
三 主位的請求原因に対する認否
1 主位的請求原因1事実のうち、ホクヨー商事の商号変更の経過が原告ら主張のとおりであることは認めるが、その余は知らない。
2 同2の冒頭事実は否認する。
同(一)(1)の事実のうち、被告の主要業務が原告ら主張のとおりであることは争い、その余は認める。
被告の営業目的は、設立当初の感光紙の製造から、現在では光学機器、写真感光材料、紙類等の製造販売など多岐にわたっているが、主たる業務は製造業である。
また、ホクヨー商事はもともと福村彰夫が昭和四二年四月フクムラリコピー株式会社として設立し、本店を富山市布瀬町に置き、事務機器販売を主目的とした会社であり、被告とは当初から別会社として存在していたものである。
同(一)(2)の事実のうち、被告の本店所在地が原告ら主張のとおりであること、昭和四九年一〇月当時、被告が全国に九支店を設け、各支店のもとに営業所も設けていたこと、被告富山営業所が昭和二七年四月被告名古屋支店のもとに設置されたこと、右営業所における当初の役割が主として直接販売(直売)にあったが、その後、次第に感光紙等の販売から複写機を中心とする事務機器の販売が増加するにつれ、事務機器販売店、文房具店等への卸売り(代売)に移行していったことは認めるが、その余は否認する。
昭和四九年一〇月当時、被告の営業所は全国に七八か所設置されていたが、その業務内容は、被告製品の市場拡大のため、担当区域の販売店への情報提供、被告製品の紹介、販売店間の連携強化等であって、販売を担当することはなかった。当時、被告富山営業所は所長一名配置の営業所であったが、被告は昭和四九年一〇月一日以降「事業部制」導入という組織変更を機に営業所の整理を進めた結果、同年一一月一日これを廃止した。
同(一)(3)の事実は否認する。
同(一)(4)の事実のうち、被告名古屋支店次長の鴨打邦行が昭和四七年一月に富山リコピー社長に就任し、被告富山営業所の佐藤和一、窪田昭、野上昌子らを富山リコピーに送り込んだこと、ホクヨー商事の本店が富山地鉄ビル二階に所在していたことは認めるが、その余は否認する。
被告は昭和四七年二月二六日に富山リコビーの全株式二〇〇〇株中半数の一〇〇〇株を取得し、同年一〇月一五日時点では四〇〇〇株中三〇〇〇株を所有するに至った。しかし、昭和五〇年一月一三日以降はホクヨー商事の株式を保有していない。
同(一)(5)の事実のうち、原告ら主張のとおり富山リコピーを富山リコーに商号変更し、被告が右発行済株式一万二〇〇〇株中七九八〇株を所有するに至ったことは認めるが、その余は争う。
同(一)(6)の事実のうち、原告ら主張各日時に富山リコーが北陸リコーに商号変更し、北陸リコーが金沢支店を設置したことは認めるが、その余は知らない。
同(一)(7)の事実のうち、原告ら主張のとおり原告らが労組を結成したこと、北陸リコー金沢支店が廃止されたこと、石川リコー販売有限会社が設立され、その後、株式会社に組織変更されたこと、鴨打邦行が北陸リコーの社長をやめたこと、被告が昭和五〇年一月一三日保有株式七九八〇株を鴨打邦行に譲渡したこと、原告ら主張各日時に北陸リコーがホクヨー商事に商号変更し、ホクヨー商事が倒産したこと、ホクヨー商事が原告ら主張日付で原告らを解雇し、原告ら主張日時に解散したことは認めるが、その余は否認する。
北陸リコー金沢支店の廃止は、経営事情のため北陸リコー独自の意思決定に基づくものであり、ホクヨー商事の倒産もまた、会社の業績不振(欠損増大)、経営組織の崩壊、混乱等による必然的、不可避的なものであって、昭和五〇年四月二日取締役会で解散決議をしたうえ原告らを解雇し、同月一八日の臨時株主総会で解散決議もされ、同年一二月二三日清算結了登記がされるに至っている。このようなわけであるから、そこには被告の意思ないし支配介入は全く存しない。
仮にホクヨー商事の解散が原告ら主張のように労働組合の壊滅を目的としたものであるとしても、右解散は真実解散の意思に基づくものであるから有効であり、これを理由とする原告らの解雇もまた有効である。
同(二)(1)の事実のうち、昭和四七年一〇月一七日の時点において、富山リコーの発行済株式一万二〇〇〇株中、被告及び越川清衛、鴨打邦行、三愛不動産が原告ら主張の各数量の株式を所有していたことは認めるが、その余は否認する。
被告は、前記のとおり昭和四七年二月二六日からホクヨー商事の株式を保有していたが、昭和五〇年一月一三日これを鴨打邦行に譲渡し、以来右株式を全く所有していない。
同(二)(2)の事実のうち、鴨打邦行、石井真一、加藤卓、津崎成幸の被告名古屋支店及び北陸リコーにおける地位、ホクヨー商事業務担当期間が原告ら主張のとおり(ただし、原告ら主張の被告名古屋支店における地位中、括弧内の記載部分及びホクヨー商事業務担当期間中、石井、加藤、津崎の各最終月の日を除く。)であることは認めるが、その余は否認する。
右鴨打らは被告の派遣社員制度に基づく派遣社員であるが、北陸リコーに対する右派遣人員は、昭和四九年一二月二三日現在、北陸リコーの全取締役四名中一名、全従業員一六名中部長及び課長各一名にすぎず、昭和五〇年二月二〇日加藤卓の派遣を解いて以後は皆無となっている。なお、右のような派遣社員が派遣先の会社を指導管理していることはない。
同(二)(3)冒頭の事実は否認する。
同(3)(イ)の事実のうち、ホクヨー商事が被告から被告製品を仕入れ、被告製品とそれ以外の商品も販売していたことは認めるが、その余は否認する。
北陸リコーがホクヨー商事に商号変更の前後を問わず、ホクヨー商事は被告製品以外の商品例えばソニー製品を販売しており、その販売量は全体の五ないし二〇パーセントに達していたものである。
同(3)(ロ)の事実は否認する。
被告の販売店に対する卸販売価格は双方の協議によって決定され、これに基づき、販売店が顧客に対する再販売価格(仕入値+諸経費+アルファ)を独自に定めて販売していたものである。被告と販売店たるホクヨー商事との取引もこれによるもので、ホクヨー商事の再販売価格を幾らにするかはホクヨー商事が独自に決定しており、被告が関与できないことはいうまでもない。ところで事務機用品業界における激烈な販売競争のため、販売店が将来の販売見込みなどを考慮し、仕入価格と等しいか、これを下回る価格で販売せざるを得ないケースが生じてくる。このような場合、販売店は最終ユーザーへ納品した後に、メーカー又は卸元に対し特別に個別商品の仕入価格の変更、つまり値下げ申入れをし、メーカー、卸元は事情調査のうえ、右変更申入れの諾否をすることがある。このようにユーザーへ納品後の販売店からの特別申入れにより、商品取引価格を約定価格と異なる価格に変更することを「特価」といって、かかる値引申出書を「特価申請書」と称し、被告は、全国の被告製品取扱いの販売店に対して採用しているが、特価申請をするか否かは販売店の自由裁量である。そして、被告は、事務能率化のため、統一様式の特価申請書用紙を使用しており、これには販売店の作成記入部分と共に、被告における内部事務処理のための起案、決裁の作成部分がある。原告は、かかる起案、決裁の文言をとらえて、事前に被告へ起案し決裁を受ける必要がある旨主張しているが、はなはだしいわい曲である。しかも、特価申請の実例はごく限られたケースであって、原告ら主張のように被告がすべての価格決裁をしていたようなことは全くない。また、下取機の処理は、販売店が古い機械を下取り、新型機を販売した場合、販売店の申請により、被告が新型機の販売促進のために下取機を買い取る制度であるが、右下取申請をするかどうかもまた、特価申請と同じく販売店の自由裁量にゆだねられ、被告が強制したようなことはなかった。
同(3)(ハ)の事実のうち、被告が製品販売にあたり、カタログ、商品説明書等を作成、頒布していたことは認めるが、その余は否認する。
被告がメーカーとして製品販売にあたり、カタログ、商品説明書を作成、頒布することは義務でさえある。また、ホクヨー商事が官公庁関係に納入の商取引で、信用を得るため、被告富山営業所長において作成交付の相見積りとしての、同営業所名義の印鑑が押捺された同営業所名義の封筒入り見積書が使用されていたことはあったが、右印鑑、封筒、見積書(一体となっているもの)は、ホクヨー商事の社員が適当に使用できるものではなく、被告富山営業所長がホクヨー商事のみならず各販売店の要請に基づき相見積りとしてのみに作成していたものである。
同(3)(ニ)の事実は否認する。
同(3)(ホ)の事実のうち、被告富山営業所長加藤卓が、昭和四七年四月から昭和四九年一一月一日までの間、被告名古屋支店の課所長会議に出席していたことは認めるが、その余は否認する。
右課所長会議は、情報交換のため年五、六回程度不定期に開催されているものである。
同(二)(4)の事実のうち、ホクヨー商事の従業員が被告の健康保険組合に加入していたことは認めるが、その余は否認する。
ホクヨー商事の従業員の労働条件はホクヨー商事の判断と責任のもとに決定されている。ホクヨー商事には独自の就業規則が作成されており、その給与体系も被告とは全く異なっている。被告の健康保険組合である三愛グループ健康保険組合は、健康保険組合法に基づき設定された被告とは別の法人であり、その加入は、申請に基づき保険料支払等の条件が認められれば可能であって、現に多くの会社が加入しているのであるから、右加入の点から被告とホクヨー商事が同一条件というのは当たらない。
同(三)(1)の事実は否認する。
原告らは、ホクヨー商事に入社したというのであるから、原告らとホクヨー商事との間で雇用契約が成立したことが明らかである。これが同時にホクヨー商事とは別法人の被告との間にも、雇用契約が成立併存していたとする特段の事情ないし事実関係は全く存在しない。もともと原告らの雇用関係存否の基準時点は昭和五〇年四月二日の解雇されたときであるが、原告らはこれをし意的にホクヨー商事の入社時点にさかのぼらせている。
同(三)(2)の事実は否認する。
被告とホクヨー商事とは、メーカーとその製品の地方における販売会社の関係にすぎず、その設立過程においても営業目的においても全く別異のものであって、それぞれ別個の組織と財産を有し、独立機関のもとに業務運営がなされている。
同(三)(3)の事実は否認する。
原告ら主張の北陸リコーとの雇用契約を通じて被告との間に雇用契約が成立したとの点は、原告ら主張の黙示的雇用契約の成立と表現が多少異なるだけであり、また、原告ら主張の使用従属関係による雇用契約の成立を別の表現で主張しているにすぎない。
同(三)(4)の事実は否認する。
元来、法人格否認理論の適用は商取引の分野であって、労働関係特に雇用関係の創設、承継にまで拡大することは困難である。仮にこれが適用されるとしても、被告がホクヨー商事を直接かつ統一的に支配していることはなく、その要件が欠けている。また、仮にホクヨー商事の解散が労働組合を壊滅させる目的でなされとしても、前記のとおり、右解散は真実解散意思のもとに行われたのであるから有効であって、原告らの解雇もまた有効である。
3 同3の事実は認める。
四 予備的請求原因に対する認否
1 予備的請求原因1の事実につき、主位的請求原因に対する認否1と2(一)(1)記載のとおり
2 同2の事実につき、主位的請求原因に対する認否2(一)(二)記載のとおり
3 同3の事実は否認する。
4 同4の事実のうち、原告ら主張の未払給与、賞与類は知らないし、その損害額は否認する。
原告志甫、同蜷川は会社等に就職して固定給を、原告平井隆は自営業による収入をそれぞれ得ているから、右原告らには、そもそも損害がないか、少なくとも損害額の算定にあたり右収入額を控除すべきである。
原告ら主張の予備的請求原因は、主位的請求原因たる雇用契約成立についての使用従属関係及び法人格否認理論の目的の要件としての不当労働行為をそのまま引用しているのであるから、予備的請求は不適法である。けだし、主位的請求が排斥されてはじめてこれと請求原因において相互に相容れない予備的請求を判断することとなるのに、予備的請求原因事実に主位的請求原因事実と同一の部分があるとなれば、それは元来予備的請求原因となり得ないからである。
五 抗弁(予備的請求に対するもの)
仮に被告に原告ら主張の損害賠償金の支払義務があるとしても、原告らが予備的請求の申立書を提出の昭和五三年九月二九日は、既に、原告ら所属の総評全国一般労組富山地方本部が申立人として、被告及びホクヨー商事を被申立人とし、富山県地方労働委員会へ右請求とほぼ同一の不当労働行為救済を申立ての昭和五〇年一月二三日から、又は原告ら主張の最終不法行為である同年四月二日から、又は原告らが被告及びホクヨー商事に右請求とほぼ同一請求の同年五月六日から、いずれも三年を経過しているから、被告の損害賠償責任は時効によって消滅しており、被告は昭和五三年一二月八日の本件口頭弁論期日において右時効を援用した。
六 抗弁に対する認否
抗弁事実は争う。
被告主張の時効起算日としての昭和五〇年一月二三日は、被告らの解雇による損害が発生していないから、右起算点となり得ない。右起算点は昭和五〇年五月六日以降である。
七 再抗弁
原告らは昭和五三年三月二八日被告に到達の書面をもって、損害賠償として別紙目録(一)該当給与欄記載の各金員の三六か月分と慰藉料各五〇万円を加算の合計金員の支払を催告し、同年九月二六日富山地方裁判所に対し訴えの予備的追加的変更の申立てをしたから、消滅時効は中断された。
八 再抗弁に対する認否
再抗弁事実のうち、原告ら主張のとおり催告の書面が被告に到達したことは認めるが、その余は争う。
原告ら請求の損害賠償金のうち、未払賞与相当額分は右催告の対象となっていないから、消滅時効が完成している。
第三証拠関係(略)
理由
第一主位的請求について
一 まず、原告ら主張の雇用契約の成否につき、判断する。
1 黙示の雇用契約について
原告らは、要するに、被告がホクヨー商事を株式、役員面のみならず、営業活動も含めて完全にこれを支配管理し、原告らを指揮、監督してその労務を受領していたから、原告大内を除く原告らはホクヨー商事に入社日時、そうでないとしても、昭和四九年一一月一日、また原告大内は昭和四九年一一月一日被告との間で黙示の雇用契約が成立した旨主張する。
そこで、被告及びホクヨー商事の営業目的ないし活動、ホクヨー商事ないしホクヨー商事と被告間の取引と原告又は被告との関係等について検討する。
(一) 被告の営業目的ないし活動
(1) 被告が昭和一一年二月理研感光紙株式会社として設立され、同商号が昭和一三年二月理研光学工業株式会社に、ついで昭和三八年四月現商号に順次変更され、本店を東京都大田区中馬込一丁目三番六号に置き、全国に支店と営業所を設け、事務用機器、複写用紙類等の製造販売を業としていることは、いずれも当事者間に争いがない。
(2) (証拠略)と弁論の全趣旨を総合すると、被告は、理研光学工業株式会社に商号変更と共に、設立当初の感光紙の製造からカメラ、複写機の事務機メーカーへと移行し、昭和四四年当時、既に資本金五六億円の事務機総合メーカーとして発展を続け、昭和四九年初めには全国に九支店と七八営業所を設け、全国的に数一〇〇社に及ぶ主要販売店と取引をしていたこと、なお、昭和五一年七月現在、その資本金は九四億七一六五万四〇〇〇円で、その目的は前記事務用機器、複写用紙類の製造販売のみならず、光学、音響、電気機器等の製造販売、他の会社への投資、輸出入業務、損害保険代理業など多岐にわたっているものの製造業を主とし、全国有数の事務機、情報機器の総合メーカーとなっていたことが認められ、これに反する証拠はない。
(二) ホクヨー商事の営業目的等と原告ら
(1) ホクヨー商事が複写機、事務用機械等の販売、修理を業とする会社で、昭和四四年当時の商号である富山リコピーが昭和四七年一〇月一五日富山リコーに、ついで昭和四九年一一月一日北陸リコーに、更に昭和五〇年一月二九日ホクヨー商事に、順次商号を変更したこと、そして、ホクヨー商事が昭和五〇年四月二日倒産し、同年五月一八日解散したことは、いずれも当事者間に争いがない。
(2) (証拠略)と弁論の全趣旨を総合すると、原告らは、別紙目録(一)該当入社年月日欄記載の各日時にホクヨー商事(本店・富山市桜町一丁目一番三六号地鉄ビル二階)に入社し、以来昭和五〇年四月二日付書面で解雇される(原告らが右日付で解雇されたことは当事者間に争いがない。)までの間、ホクヨー商事の従業員として商品の販売又はこれに関する事務に従事していたこと、すなわち、原告らは、ホクヨー商事の定めた就業規則ないし給与規則等に基づき、ホクヨー商事に労務を提供し、ホクヨー商事から所定の給与の支給を受けていたことが認められ、これに反する証拠はない。
原告らは、被告がホクヨー商事の従業員の労働条件を決定していた旨主張するが、これを認めるに足る証拠はない。
(三) ホクヨー商事の解散に至るまでの経緯と被告
(1) ホクヨー商事の設立
(証拠略)を総合すると、もともとホクヨー商事は昭和四二年四月二四日フクムラリコピー株式会社(本店・富山市内)として設立され、被告のもと社員福村彰夫が代表取締役(以下「福村社長」という。)となって社員五名で発足した資本金五〇万円の会社であったが、同年九月ごろ、資本金を一〇〇万円に増資するなどしたうえ、商号を富山リコピーに変更し、富山県内における被告製品専門の販売会社として、被告名古屋支店から商品を仕入れてこれを販売することを主たる業務としていたことが認められ、これに反する証拠はない。
(2) 富山リコピーと被告社員の派遣等
(証拠略)を総合すると、富山リコピーは昭和四六年六月ごろから市場環境の変化に伴う不況、ベテラン営業社員の不足等により経営不振に陥ったこと、そのため、福村社長は被告名古屋支店に熟練営業社員の派遣を要請し、同年一〇月二八日には被告に手形決済資金五〇〇万円の融資を申し入れるに至ったこと、これに対し、被告は同年一〇月二六日ごろ被告名古屋支店の社員加藤卓を富山リコピーに派遣し、かつ、その後右五〇〇万円を貸し付けたこと、そして、富山リコピーは同年一一月ごろ加藤卓を営業部長(以下「加藤部長」という。)に任命し、従来同様被告名古屋支店と取引をしていたこと、加藤部長は昭和五〇年二月二〇日派遣を解かれて被告へ戻るまで営業部長として在任していたことが認められる。
右認定に反する(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(3) 富山リコピーの新体制と被告の株式取得等
(証拠略)を総合すると、被告名古屋支店長西塚勇吉、同次長鴨打邦行らは、昭和四七年一月一〇日、福村社長らと富山リコピーの再建について、かねてよりの折衝を踏まえて最終的な打合わせをしたこと、その結果、(イ)富山リコピーの代表取締役に新たに鴨打邦行が就任する、(ロ)富山リコピーのサービス部門を同年二月一日分離して、新設会社としての富山リコーサービス株式会社に移管させ、その代表取締役に福村社長が就任する、(ハ)被告は福村社長保有の富山リコピーの株式一〇二〇株を買い取る、(ニ)富山リコピーは同年二月一日から被告富山営業所の一切の業務を代行する、(ホ)被告は同年二月一日付をもって被告富山営業所勤務の佐藤和一ら五名を富山リコピーに派遣する旨などの合意が成立したこと、かくて、鴨打邦行は同年一月被告から派遣されて富山リコピーの代表取締役(以下「鴨打社長」という。)に就任し(この点当事者間に争いがない。)、福村社長は同年一月二一日新たに設立の富山リコーサービス株式会社の代表取締役に就任したこと、また、被告は福村社長所有の富山リコピーの株式一〇〇〇株を買い取り、全体の五〇パーセントを保有するに至ったこと、そして、同年二月ごろ、被告富山営業所は、富山市神通本町から富山リコピー本店内の同市桜町一丁目一番三六号地鉄ビル二階に移転し、他方、富山リコピーは、被告からもと富山営業所勤務の社員である佐藤和一(同営業所長)、宇佐美久男、窪田昭、三宅正之、野上昌子の計五名の派遣を受け(右佐藤、窪田、野上の派遣の点は当事者間に争いがない。)、販売課の新設など組織の改革も行ったこと、しかし、佐藤は右派遣後も被告富山営業所長を兼務していたこと、鴨打社長は同年二月取引関係者あてに、富山リコピーが被告富山営業所と合体し、その業務一切を代行することになった旨の挨拶状を送付し、被告名古屋支店長西塚勇吉、富山営業所長佐藤和一もまた連名で、右同様合体した旨の挨拶状を送付したこと、当時、富山リコピーは富山県下の高岡と魚津に各営業所を置き、従業員が三四名であったこと、以上のように鴨打社長就任後の富山リコピーは、同年五月、教育機器販売部を独立採算事業部として富山市新桜町に事務所を新設し、被告名古屋支店と取引を継続するに至り、次第に業績を伸ばして被告からの借入金五〇〇万円も返済したこと、なお、被告の前記派遣社員のうち、野上は昭和四七年四月退社し、佐藤は同年四月、宇佐美は同年一〇月ごろ、窪田は昭和四八年四月、また三宅は昭和四九年一〇月ごろ、いずれも派遣を解かれて被告に戻ったこと、このようなことから、被告富山営業所長は、昭和四七年四月から加藤部長が兼務するに至り、後記のとおり昭和四九年一〇月末日廃止されるまでの間、加藤部長のみでその業務を担当していたことが認められる。
右認定に反する(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(4) 富山リコーの増資と被告の株式取得
(証拠略)を総合すると、富山リコピーは昭和四七年一〇月一五日富山リコーに商号を変更すると共に資本金を一〇〇万円から六〇〇万円に増資したこと、被告は右発行済株式一万二〇〇〇株のうち七九八〇株を所有するに至ったこと(この点当事者間に争いがない。)、残りの株式は、富山リコーの取締役の越川清衛が二四〇〇株、同じく福村社長が二〇〇株、鴨打社長が三一〇株、三愛不動産が二〇株のほか一〇数名がこれを保有していたこと(福村社長を除く右株式保有の点は当事者間に争いがない。)、また、富山リコーは前記派遣社員宇佐美と入れ替りに、同年一〇月、被告から名古屋支店の社員津崎成幸の派遣を受け、同人を電子機器課長に任命したこと(右津崎の派遣と右課長の地位は当事者間に争いがない。)、津崎は、昭和五〇年二月ごろ派遣を解かれて被告に戻るまでの間、右課長として在任していたこと、しかし、鴨打社長は自立経営の確立を基本理念とし、地元富山県人による会社造りを目指して、できる限り地元県人を管理職に登用する方針のもとに、昭和四八年一〇月には管理部長(総務、経理担当)として地元の小杉正男を任命するなどしたこと、そして、富山リコーもまた業績を伸ばし、昭和四七年四月一日から昭和四八年三月三一日までの間に八三〇万円余の利益をあげて繰越欠損金をすべて解消し、ついで昭和四八年四月一日から昭和四九年三月三一日までの間には約四六万円の利益をあげ、次期繰越利益金として四八万円余を計上するに至り、以後も引続き順調に推移することが予測されたこと、なお、昭和四九年五月、富山リコーの非常勤監査役として被告名古屋支店管理課長の石井真一が就任したこと(この点当事者間に争いがない。)、富山リコーは、同年八月末現在繰越利益金は五七七万九〇〇〇円に達し、事業所として前記本店及び高岡、魚津の各営業所、教育機器事業部のほか、栃波営業所(富山県栃波市)、商品センター(富山市大泉本町)を設け、従業員も約八〇名に増加し、被告からの派遣社員は五名(鴨打社長、石井真一、加藤部長、津崎成幸、三宅正之)であったことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
(5) 北陸リコーと金沢支店の設置
(証拠略)を総合すると、富山リコーは、昭和四九年九月ごろ、被告名古屋支店との協議に基づき、被告の資金援助のもとに販売網を富山県のみならず石川県に拡大するため、金沢市内に支店を新設することとし、これに伴う商号変更と増資計画を立て、大口の株主で債権者でもある被告に協力と承諾方を申し入れたこと、右商号変更は地域性等を考慮してこれにふさわしく北陸リコーと変更するものであり、また、右増資計画は、新株八〇〇〇株を発行し、これを全部被告に割り当て、同資金四〇〇万円をもって金沢支店の設置資金に充当しようとするものであったこと、被告名古屋支店はそのころ本社あてに、右申入れについて決裁を求めたが、右増資計画は決裁を受けるに至らず、その旨を富山リコピーに連絡したこと、そのため、富山リコーは昭和四九年一一月一日北陸リコーに商号を変更し、銀行からの借入金約二〇〇〇万円をもって、金沢市尾山町四番五号日海産業ビル内に金沢支店(地方税上石川県知事あてに届出の名称は金沢営業部)を設け(北陸リコー金沢支店の設置は当事者間に争いがない。)、被告名古屋支店との取引を継続していたこと、鴨打社長は、右金沢支店の責任者としての金沢営業部長に適任者がいなかったため、やむなく被告に要請して派遣を受けた菅原嗣孝を任命し、その余の従業員については、北陸リコーの就業規則上、勤務地が富山県内と定められている関係から、本店等の従業員のうちその承諾を得た黒崎某、清水正孝の両名のみを転勤させ、他に七、八名を現地募集で採用したこと、鴨打社長は同年一二月取引関係者あてに、被告社長名義の商号変更による北陸リコー支援要請の挨拶状と共に、自己名義で右商号変更と金沢支店新設の挨拶状を送付したことが認められる。
右認定に反する(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
原告らは、北陸リコー金沢支店が被告金沢営業所内に設置された旨主張するが、これを認める証拠はなく、(証拠略)によると、むしろ両者の所在地が別であったことが認められる。
(6) 北陸リコーの労組の結成、金沢支店の廃止
(証拠略)を総合すると、富山リコーは、前記のように昭和四九年八月末日現在で繰越利益金五七七万九〇〇〇円を計上し、同年九月末日現在でもこれが六〇二万五〇〇〇円となっていたが、同年一〇月には売上げが五二七四万七〇〇〇円となって前月比で約一九〇〇万円減少して一七五万四〇〇〇円の損失となり、同月末日現在の繰越利益金は四二七万一〇〇〇円となったこと、そして、北陸リコーとして発足の同年一一月は、売上げが七一二三万四〇〇〇円となって同年九月分並みに回復したものの、金沢支店の新設に伴う経費増もあって五一八万八〇〇〇円の損失を出し、同月末日現在で繰越損失金九一万七〇〇〇円を計上するに至ったこと、しかし、鴨打社長は、当時右のような売上げの減少ないし損失は、通常見られる一時的な現象として回復可能と判断し、かねてより希望のオーナー社長として専念するため、同年一二月八日、被告あてに同月末日をもって退職したい旨の退職願を提出したこと、ところが、同年一二月に入ってからの売上げが意外にも伸びないばかりか、同月二二日、原告ら従業員三九名が北陸リコー本店内に労組を結成(右日時、労組結成の点は当事者間に争いがない。)するに及んで、労組の団体交渉等の組合活動と会社もその対応に時間を取られ、予定の売上げを確保することも極めて困難な状態が予測されたこと、そこで、鴨打社長は、被告名古屋支店に依頼のうえ、同月二四日ごろ、複写機事業部名古屋複写営業部次長山下忠男を相談役として迎え、事実の調査分析等による北陸リコーの売上げ増加見込みなど会社経営上の相談にのってもらい、他方、そのころ被告名古屋支店等から数名の社員に販売応援をしてもらったこと、山下は、以来翌年一月末日ごろまで二〇数日間富山に滞在し、鴨打社長の相談相手となり、労組との団体交渉にも出席したことがあったこと、鴨打社長は、昭和四九年一二月二八日ころ、それまでの右相談役の意見、販売応援の成果等から、北陸リコーの同月分の売上げ減少が労組の組合活動による影響もさることながら、単なる一時的現象ではなく、景気の急速な冷込みによる異常事態と判断し、対応策として縮小均衡に転ずることとしたこと、そして、経営の効率化のため、今後も投資を必要とし、回収に時間のかかる金沢支店の廃止を決断するに至り、右投下資金を早期に回収して、本店の運転資金に充当することにしたこと、北陸リコーの同年一二月分の売上げは六〇三八万円で損失が七六一万七〇〇〇円にのぼり、繰越損失額として八五三万四〇〇〇円を計上するに至ったこと、鴨打社長は、予定どおり同月末日をもって被告を退職し、昭和五〇年一月一日から北陸リコーの社長として専念することになり、同月三日、被告あてに被告保有の北陸リコーの株式七九八〇株の譲渡も依頼し、同月一三日右譲渡を受け(右株式譲渡の点は当事者間に争いがない。)、これを保有するに至ったこと、かくて、鴨打社長は、かねてよりの自立経営の確立を目指し、従業員に急激な市場悪化に伴う危機突破を力説し、会社再建に向って協力を求め、被告名古屋支店との取引を継続していたこと、北陸リコーは、同年一月六日金沢支店の廃止登記を了し(金沢支店の廃止は当事者間に争いがない。)、その結果、金沢支店の従業員のうち、責任者の菅原嗣孝は派遣を解かれて被告に戻り、さきに配転の黒崎、清水の両名は本店に転勤させ、その余は本店への転勤に反対したので、退職を勧告してその承諾を得たこと、そして、鴨打社長は、右退職者を同月一〇日右金沢支店のあとに新しく設立された石川リコー販売有限会社(代表取締役菅原嗣孝)の従業員採用試験に受験できるようあっ旋したこと、なお、右有限会社は昭和五四年五月二日組織変更により石川リコー販売株式会社となったこと(右有限会社の設立と組織変更は当事者間に争いがない。)が認められる。
右認定に反する(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(7) ホクヨー商事への商号変更と労働争議
(証拠略)を総合すると、鴨打社長は、前記のとおり従業員に北陸リコーの再建について協力を求めたが、労組は昭和五〇年一月九日から月末までの間に六回にわたって団体交渉を求め、更に二四時間スト、社屋内のビラ張り、リボン斗争、社有車のステッカー張り、電話サボタージュ、全国一般労働組合の他社支部旗の掲揚等のほか、これに絡んだ管理部長に対する暴行傷害事件の発生、その他管理職に対する脅迫的言動等のため、業績は悪化するばかりであったこと、北陸リコーは同年一月六日労組に対し、リボン着用中止の警告を発し、また同月九日原告志甫に対して業務命令違反等による懲戒処分もしたこと、このようなことから、鴨打社長は、業績の拡大をねらい、緊急自衛策として被告製品のみならず、他社製品であっても得意先が必要とし求めている事務用品をすべて取り扱って販売の増大を図ることとし、そのためには、リコーという特定メーカーの商号を使用していると販売に混乱と誤解を招きかねないとし、他社メーカーからの仕入れも困難であるため、北陸リコーの商号を変更することとしたこと、北陸リコーは、同年一月二八日開催の臨時株主総会において、商号をホクヨー商事に変更することが可決承認され、同時に監査役の前記石井真一の後任として、鴨打社長の妻鴨打美恵子の選任も可決承認され、翌二九日、右変更登記がされたことが認められる。
右認定に反する(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(8) ホクヨー商事の業績不振と大量の希望退職
(証拠略)を総合すると、ホクヨー商事は、前記認定のようなわけで、被告製品以外セイコー、アマノのタイムレコーダー、オカムラのスチール製品等の事務所用品も販売することになったこと、しかし、ホクヨー商事の昭和五〇年一月分の売上げは前記認定の事情から四六四四万八〇〇〇円で、損失が一三四八万三〇〇〇円にのぼり、繰越損失額は二二〇一万七〇〇〇円を計上したこと、ホクヨー商事は、後記のような取引約定に基づき、同年二月分として被告名古屋支店あてに三七四八万円余の商品を発注し、三五七一万円相当の商品の納入を受けたものの、同月分の売上げも五一六六万四〇〇〇円で、損失が八三九万八〇〇〇円も出て、繰越損失額が三〇四一万五〇〇〇円となったこと、例年二月は、年度末、新年度予算期を迎えて活発な荷動きが見られる商期であるのに、売上げが前月比で約五〇〇万円の増加にとどまったこと、なお、被告は同年二月一二日ホクヨー商事との間で、ホクヨー商事が同日現在被告に対し、約束手形金債務として一億五〇〇二万五〇七二円を確認し、その弁済方法を約定の公正証書を作成すると共に、将来ホクヨー商事が倒産したとき、被告がホクヨー商事の売掛代金債権の譲渡を受ける旨の約束も取りつけていたこと、鴨打社長は、被告との取引を円滑に図るため、右のような約定をしたものであること、鴨打社長は、同年二月、派遣社員の加藤部長、津崎課長を被告に戻して経費の節減を図ったが、昭和四九年一〇月以降赤字続きで累積赤字が資本金の約五倍に当たる三〇〇〇万円を超えるに及んで、会社存続のために残された道は従業員の大幅な削減整理以外にないと判断するに至ったこと、ホクヨー商事の従業員は、昭和四九年二月末日現在が過去最高の八九名で、昭和五〇年二月末日現在は七一名であったこと、鴨打社長は昭和五〇年二月二七日労組との団体交渉でも、人員整理を含む合理化案を説明したが、全面的に反対されたため、同年三月一日と同月七日の両日にわたり、全従業員に対し希望退職者三四名の募集を骨子とする合理化案を提案したこと、右席上、労組は全面反対の方針のもとに組合員全員が退場したものの、そのあとで、鴨打社長に「管理職がまず希望退職し、次に非組合員が退職せよ。」などと繰り返し申し入れたりしていたこと、ところが、右希望退職者は同年三月一五日の締切日までに意外にも計四五名に達し、このうちには労組の組合員が一五名含まれ、管理職も魚津営業所長を除く全員一二名が含まれていたこと、鴨打社長は、このままでは会社運営ができないと考え、翌一六日ごろから右退職申出の管理職一二名に慰留を続けたが、これを拒否され、同月下旬全員が退職したこと、そこで、鴨打社長は、やむなく残った従業員二五名と共に会社再建に着手し、まず業務指示系統を確立するため、管理職を任命しようとしたが、労組に反対され実現できなかったこと、このような混乱のため、ホクヨー商事は、被告名古屋支店に同年三月分の商品発注もできず、在庫品に過不足が目立って注文に応じた納品もできず、顧客からのクレームが続発するなど異常な事態で推移したこと、もっとも、ホクヨー商事が同年三月中に随時被告名古屋支店に発注した商品は二九九七万円余相当であって、このうち二八〇九万円余相当の商品は納入を受けたこと、しかし、ホクヨー商事は同年三月末日ごろ約一億円の債務超過状態に陥り、累積欠損金も六〇〇〇万円を超えるものと推定され、資金面で行き詰まっていたこと、そこで、鴨打社長は同年四月一日被告名古屋支店に赴き、翌二日に迫った約束手形の書替え延期と商品の仕入れ交渉をしたこと、これに対し、被告名古屋支店は、発注商品については同月四日発送準備ずみとの回答をしたが、手形の書替えはこれを拒絶したこと、右拒絶は、当時ホクヨー商事の被告に対する債務が約一億八〇〇〇万円に達しているうえ、銀行債務も約一億円あって、同年二月末日の繰越欠損金が三〇〇〇万円を超え、同年三月も業績が好転せず、資金繰り、返済計画も不明確で、地元販売店、ユーザーから悪評、不信表明が多いことなどを理由とするものであったこと、そのため、鴨打社長は、ホクヨー商事の営業を続行するかどうかについて最終的な決断に迫られたことが認められる。
右認定に反する(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(9) ホクヨー商事の解散と解雇
(証拠略)を総合すると、鴨打社長は、ホクヨー商事の前記のような昭和五〇年三月末日現在の債務超過額、累積欠損金のほか、銀行への持込み担保手形がわずか一二〇〇万円であって、昭和四九年一〇月以降の収益悪化とこれによる銀行の融資枠圧縮、財務面及び労働争議等によるユーザー、代理店及び仕入先の不信、悪評、管理職の大量退職による組織の未確立等から、昭和五〇年四月以降の資金不足とその解消のすべもなく、損失が増大するのみで業績好転の見通しもないため、会社経営の意欲及び自信をすっかり喪失し、ホクヨー商事の閉鎖解散と従業員の全員解雇を決断せざるを得なかったこと、そこで、鴨打社長は昭和五〇年四月二日取締役会でその事情を説明し、右解散及び清算人選任のための臨時株主総会の開催と従業員の全員解雇について可決、承認を得たこと、かくて、ホクヨー商事は、同日、第一回目の不渡手形を出して営業も全面的に閉鎖し(なお、同月四日第二回目の不渡手形を出して銀行取引停止処分を受けた。)、他方、原告らを含む全従業員に解雇する旨の速達郵便を発送し、同郵便はそのころ原告らにも到達したこと、そして、ホクヨー商事は、翌三日大口債権者の被告に右事情を説明して了解を得たうえ、さきの約定に基づき、ホクヨー商事の売掛代金債権約六一〇〇万円を被告に譲渡し、同月一八日の臨時株主総会において、会社解散及びその清算人に鴨打社長を選任する旨の議案を全員一致で承認を受けたこと、かくて、ホクヨー商事は同月二四日解散登記を了し、また同年一二月二三日清算を結了し、その旨の登記も了したことが認められる。
右認定に反する(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(四) ホクヨー商事と被告との取引と原告ら
(1) 取引内容
(証拠略)を総合すると、ホクヨー商事と被告との取引は、前記のようにホクヨー商事が被告から被告製品を仕入れ、被告がこれを卸売りしていたこと、通常、ホクヨー商事は一か月毎に仕入予定の商品、数量等を自ら決定したうえ、毎月二五日に被告名古屋支店あてに翌月分の仕入商品名、数量、納期等をあらかじめ連絡し、これに基づき、毎週火曜日と金曜日に電話で発注し、被告から毎週水曜日と金曜日にその納入を受けていたこと、右仕入代金は、ホクヨー商事が毎月一五日締切りで毎月末日に支払期日を一五〇日先とする約束手形を振り出し、被告にこれを交付する方法によっていたこと、また右仕入、納入商品の価格は、ホクヨー商事と被告との間で、過去の取引実績、将来の仕入計画、数量等を勘案し、双方が協議して合意したものであったこと、もっとも、被告は、歩引と称して、ホクヨー商事があらかじめ定められた取引数量以上の仕入れを一定期間内に達成したときは、後日、単価を減額して右価格を値引したことがあったこと、また歩引は、北陸リコーが前記のように金沢支店を新設したようなときも、体制確立までの一定期間これを認めていたこと、なお、ホクヨー商事は、もともと被告製品のみならず、他社製品もわずかながら販売していたものであって、被告との間で、被告製品のみを仕入れてこれを販売するといった約定もなかったことが認められる。
右認定に反する(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(2) 被告富山営業所の業務
被告富山営業所が昭和二七年四月被告名古屋支店のもとに設置されたことは当事者間に争いがなく、同営業所が昭和四七年二月ごろ富山市神通本町から同市桜町一丁目一番三六号地鉄ビル二階の富山リコピーすなわちホクヨー商事の本店内に移転し、同年四月から加藤部長が同営業所長を兼務し、同人のみが右業務を担当処理していたことは、前記(三)(3)認定のとおりである。
(証拠略)を総合すると、被告は、被告製品の販売につき、もとは全国にわたって設置の営業所をして顧客に直接販売(直売)させていたが、事務機器の販売が増加するにつれ、昭和三〇年ごろから事務機器等の販売店への卸売り(代売)へと移行し(右の直売から代売への移行及び事情は当事者間に争いがない。)、右販売店の販売実績の向上もあって、営業所の直売が減少し、次第にその業務も縮小に向って推移していたこと、加藤部長が被告富山営業所長を兼務していた昭和四七年四月以降の同営業所の業務は、被告の販売代金の回収事務、富山県内の販売店に対する被告製品の情報提供等で、加藤部長が兼務でまかなえる程度の事務量であったこと、そして、加藤部長は、被告名古屋支店で年数回不定期に開催の、主として販売に関する情報交換を目的とする課所長会議に営業所長として出席していたものの、被告から指示を受け、被告富山営業所長として原告らを指揮監督し、原告から労務の提供を受けたこともなかったこと、被告は、昭和四九年一〇月一日の機構改革に伴い、当時全国に設置の九支店のもとの合計七八営業所を整理することとし、被告富山営業所を存置の必要がないものと認めて同月末日をもって廃止したこと、しかし、加藤部長は、同営業所の残務整理のほか、関係者の事務処理上の手違いなどのため、同年一二月ごろまで同営業所あての書類を処理し、同営業所作成名義による事務処理をしたことがあったことが認められる。
右認定に反する(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(3) ホクヨー商事の販売業務と原告ら
(証拠略)を総合すると、ホクヨー商事(北陸リコー)の昭和四九年一一月一日現在における組織は、鴨打社長のもとに石川営業部、富山営業部、管理部、教育機器事業部の四部があって、石川営業部のもとに金沢支店を、富山営業部のもとに販売推進室、富山中央、高岡、魚津の各営業所のほか、販売一課など六課を、管理部のもとに管理課、商品センターを、教育機器事業部のもとに直販課など三課と砺波営業所を置いていたこと、ホクヨー商事は、被告からの仕入商品につき、仕入価格に諸経費と利益を加算して最低価格を決定し、これに基づき、原告らも販売業務に従事していたこと、原告志甫、同平井らは、右販売にあたり、被告から送付のカタログで商品を説明するなどし、また、富山リコーないし北陸リコー当時、被告と同じマーク(RICOH)を入れたネームプレート、バッジ、名刺等を使用し、女子従業員のユニホームも被告のそれと同じものを着用していたこと、なお、ホクヨー商事の従業員は、鴨打社長の働きかけにより、被告社員と同じく「リコー健康保険組合」の被保険者となっていたこと、右組合はホクヨー商事だけでなく、被告との取引会社が多数加入していたことが認められる。
右認定に反する(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(4) ホクヨー商事の販売業務と被告
(証拠略)を総合すると、被告は、ホクヨー商事の販売業務につき、販売情報の提供、ホクヨー商事の要請に基づく被告製品の展示会開催等とその費用援助、被告社員による販売指導ないし応援のみならず、ホクヨー商事の従業員研修に講師を派遣し、またホクヨー商事の要請に基づく新入社員の研修などをしてこれに努力していたこと、また、ホクヨー商事において、販売競争の激化、将来の販売見込等のため、やむを得ず仕入価格を下回る価格で販売せざるを得なかったときなどは、商品納入後に、被告名古屋支店あてに特別に仕入価格の値下げを申請できるとする特価申請を認め、被告名古屋支店において、事実調査のうえこれを相当と認めたとき、その値引を認めていたこと、右特価申請は、被告がホクヨー商事のみならず被告製品を取り扱う販売店に一般的に認めていたものであって、その申請は販売店の自由裁量にゆだねられていたこと、そして、被告は、右事務処理の能率化を図るため、販売店作成部分の特価申請と被告作成部分の決裁関係等とが一通の書面となった定型的な用紙を、右販売店に配っていたこと、被告は、特価申請のほか、被告製品販売にあたっての下取機の買取りも、販売店からの申請により、これを相当と認めるときは買取って値引の処理をしていたこと、他方、被告はホクヨー商事に対し被告製品の販売拡大に協力を求めていたこと、被告は、例えば本社が中央官庁と直接交渉の被告製品の販売価格等につき、被告名古屋支店、同富山営業所を通じてホクヨー商事に連絡し、その出先機関への販売にあたっても、右価格を最低価格として同じ価格での交渉販売を依頼したり、被告の営業政策のため、ホクヨー商事の経営計画を所定用紙に記入し、提出を求めたこともあったこと、また、被告名古屋支店は、営業政策等のため、富山リコーないし北陸リコー当時、ホクヨー商事に依頼してその決算関係書類、経営概況報告書、月次報告書等の送付を受けていたこともあったことが認められる。
右認定に反する原告志甫彬、同平井隆各本人尋問の結果は、前掲各証拠と対比して措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
原告らは、被告において定価の一五パーセント引の基準価格を設定し、ホクヨー商事がこれを逸脱して販売する場合には、被告富山営業所長の承諾を要し、また、ホクヨー商事が被告名古屋支店名義の領収書又は被告富山営業所名義の見積書等を使用し、更にホクヨー商事の資金繰りが被告の意思によって決定されていた旨主張するが、いずれもこれを認めるに足る証拠はない。
また、原告らは、被告名古屋支店がホクヨー商事に各種の報告作成を指示し義務付けていた旨主張するが、前記認定のように、被告において営業政策等のため、報告作成を依頼したことがあったことは明らかであるけれども、これを強制的に義務付けていたことを認めるに足る証拠はない。
(五) 以上の事実によれば、原告らが別紙目録(一)該当入社年月日欄記載の各日時にホクヨー商事に入社し、ホクヨー商事所定の就業規則ないし給与規則等に基づき、ホクヨー商事に労務を提供し、ホクヨー商事から給与の支給を受けていたのであるから、原告らはホクヨー商事との間で雇用契約が成立していたことは明らかであり、原告ら主張のように、右入社日時ないし昭和四九年一一月一日、被告との間で黙示の雇用契約が成立したものとはこれを認めるに足りない。
もっとも、被告が全国有数の事務機器の総合メーカーで、ホクヨー商事が主に被告製品を販売していた会社であって、両者間に長年にわたり取引関係があったうえ、特に昭和四七年二月ごろから昭和五〇年一二月ごろまでの間被告においてホクヨー商事の株式の過半数を保有し、しかも、鴨打社長、加藤部長らの被告社員数名を派遣し、加藤部長が被告富山営業所長を兼務していたこともあったのであるから、両者が極めて密接な関係にあったことは明らかである。
しかし、黙示の雇用契約も、契約である以上、原告らと被告との間に意思の合致が必要であるから、原告らが被告の組織の中に完全に組み込まれ、直接その指示に従って被告に労務を提供し、給与も実質的に被告から支払われ、原告らにおいてかかる実態を認識しているような事実関係があれば格別、被告とホクヨー商事間に右のような密接な関係が存在していたというだけでは、原告ら主張の黙示の雇用契約の成立を認めることは無理である。
他に原告らの右主張を認めるに足る証拠はない。
2 被告との使用従属関係又は特別関係を有する北陸リコーを通じての雇用契約について
原告らの右主張は、請求原因としていずれも黙示の雇用契約と同じ事実を主張しているにすぎず、ただ、原告らがこれを総合的に評価して被告との使用従属関係又は特別関係を有する北陸リコーを通じての雇用契約と表現し主張しているものと解され、原告らが被告との明示の雇用契約を主張する趣旨とは解されない(雇用契約は、いわゆる使用従属関係ないし特別関係の存在の一事をもって直ちに成立するものではなく、当事者間の意思の合致を要する。)から、いずれも黙示の雇用契約成立の主張にほかならないと解する。
ところで、原告ら主張の黙示の雇用契約の成立が認めるに足りないことはさきに認定のとおりである。
3 法人格否認(濫用)法理による雇用契約について
原告らは、被告がホクヨー商事の株式、人事、営業及び労働条件についても現実的、統一的に管理支配し、労組を壊滅させる目的で、ホクヨー商事を倒産、解散させ、原告らを解雇したものにほかならないから、被告はホクヨー商事との異別性を主張できず、原告らは被告との間に雇用関係を有する旨主張する。
しかし、被告及びホクヨー商事の各設立経緯、被告とホクヨー商事との関係、ホクヨー商事の倒産と解散、原告ら解雇の経緯等は前記1認定のとおりであるから、被告がホクヨー商事を意のままに支配できるような支配的地位にあったわけでなく、かつ、被告が不法な目的をもっていたとも認めるに足りない。
他に原告らの右主張を認めるに足る証拠はない。
二 以上のとおりであるから、原告らの主位的請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。
第二予備的請求(ただし、原告牧野を除く。)について
一 被告は、もともと予備的請求は主位的請求が排斥され、これとは相容れない請求であるから、主位的請求原因事実と同一部分の請求原因は予備的請求原因事実となり得ないのに、原告らの予備的請求は、主位的請求原因事実としての雇用契約成立についての使用従属関係及び法人格否認理論の目的要件と同一の部分もあるから、不適法である旨主張する。
確かに、予備的請求は主位的請求とは論理的に両立し得ない請求について、主位的請求の不認容を停止条件とする審判申立てであるけれども、予備的請求原因事実中に主位的請求原因事実が一部含まれるからといって、予備的請求が不適法となるものではないから、右主張は採用できない。
二 原告らは、被告においてホクヨー商事を完全に支配し、原告らの労組結成通知を受けるや、労組を壊滅させるため、昭和四九年一二月末から昭和五〇年一月にかけ、北陸リコー本店と金沢支店との切り離しを図り、金沢支店の廃止等のほか、鴨打社長を退職させるなどして、ホクヨー商事を倒産させ、少なくとも倒産するのを放置したので倒産し、原告らを解雇させた旨主張する。
しかし、被告とホクヨー商事との関係、ホクヨー商事の倒産と解散、原告ら解雇の経緯等は前記1認定のとおりであるから、原告ら主張のような被告の違法性はこれを認めるに足りない。
他にこれを認めるに足る証拠はない。
三 以上のとおりであるから、原告らの予備的請求もまた、その余の点を判断するまでもなく理由がない。
第三結論
よって、原告らの本訴請求はいずれも失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 角田清 裁判官 林正宏 裁判官菊地健治は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 角田清)
目録 (一)
<省略>
目録 (二)
<省略>
目録 (三)
<省略>